9月にホームページを公開しましてから今日に至りますが、いざ文書にまとめるとなると何を主体として書いて行けばいいのかと迷いました。
単に“典眞堂やすらぎ治療院”をアピールするに留めれば、その内容には限りがありますし、身体における医学的な事を書き並べても、これまた、今のネット情報豊富な社会では個々それぞれに知識を得ているのが現状ではないかと思います。
そこで私なりに考えた“やすらぎコラム”の第一歩としては、目には見えない“心模様”を書いて行きます。
もちろん私は心理学者でも精神科医でもありませんし、偉そうな事も言える立場でもありませんが、私が人として生きてきたこれまでの中で感じてきたことが多々あります。それは社会を生きる皆様にとりましても同様ではありますが、私が今、マッサージ治療院を開業し、その中での人との出会いを通しての“心の交わり”を基本とした私の心の中を表現できればと思います。
人として産まれた私たちは社会と言う枠の中でしか生きることは出来ません。そして人は皆、自由平等であるとも言われていますが、決してそうではないのがこの社会ではないでしょうか?
人がこの世に誕生する際、正常分娩、帝王切開、未熟児、逆子と、産まれ方もさまざまです。もし障害を持って産まれ出たならば、すでに不自由、不平等での始まりになります。
無意識に行っている呼吸一つにしても場所に寄り空気が綺麗、汚いと差があります。その為、健康状態も千差万別であり、寿命の長短にも関わってきます。
社会人となるまでの基本の人生、どんな幼児教育、義務教育を受け最終学歴がどうであるかによっても、その人の社会へのスタート点は異なってきます。
社会人となり、それぞれの職に就きますが、皆が納得のいく仕事ができているでしょうか?
一生懸命働いても貧困から抜け出せない人、楽して生きてもお金に困らない人。
家族や友人知人、皆に囲まれ暖かな生活を営む人、天涯孤独な中で強く生きる人、弱く生きる人、様々です。
人生を終え、この世を去る時、人は皆安らかな気持ちになれるでしょうか?
産まれて死を迎えるまで、人は皆さまざまな生き方をするわけです。すなわち人は身内であれ他人であれ、一人として同じ心の人はいないと思います。言い換えれば人は皆、孤独な心を持って生きているのだと私は思います。
そんな心模様を私なりに書き示し、少しでも皆様の心への“やすらぎ”となるような心のつながりが出来れば幸いと思います。
現在、私が治療師として施術しながら、人の心に触れ合いを持ち、与える物、与えられる物すべてを通して何か皆様の心に共感していただけるようなコラムが出来ればと思います。
とにかく私にとっては“コラム一年生”です。手探りの状態でのスタート。皆様方からいろいろと助言を戴ければと思います。
試行錯誤しながら一歩一歩積み重ねていきますので、どうかよろしくお願いいたします。